時代をプロデュースした男、小谷正一物語の後編では、当時の電通社長吉田秀雄の強引な招きに応じ短い期間ではあったが、電通をスペースブローカー的なビジネスから脱皮させるための施策として、プランニングセンター設立に尽力することになる。吉田社長の亡き後、再び独立した小谷正一は、大阪万博における住友童話館、電力館をプロデュースする課程で、企画/お金/人を全面的に掌握する日本で初めての総合プロデューサーという立ち位置を確立することになる。ここでは小谷正一のプロデューサー論の神髄に迫る事柄が語られている。
・電通プランニングセンターの創設
・大阪万博で人気を博した住友童話館、電力館をプロデュース
・市川崑の「木枯し紋次郎」が大ヒット
・広告は花だ
・プロデューサーとは何か?
・小谷正一いろはかるた