伝統の舞である『地歌舞(じうたまい)』を継承し、古典の発展と普及に努めている古澤侑峯のミュージックビデオ。 古典を踏まえつつ、邦楽以外にも様々なジャンルとのセッションを試み、又、詩や絵を題材に振り付けするなど、数々の実験的活動を重ね独自の舞の世界を築きあげている。今回の音楽はヤススキイ作曲のもの。
古澤侑峯:古澤流 二代目 家元。先代家元 古澤侑の長女。『空の会』主催。
花博、ドイツブレーメン音楽祭、日本デザイン会議秋田など日本国内及び海外各地【アジア、ヨーロッパ、米国、アラブ諸国】における派遣、招聘公演多数。伊勢神宮、元伊勢籠神社、清水寺や天龍寺,大覚寺などでの奉納公演も多い。グリーンリボン新人賞、大阪芸術祭賞、京都芸術賞など受賞。
(舞と踊り)
肉体表現を「舞」と「踊り」という二つの概念に分けて認識しているのは、現在のところどうも日本独自の発想のようです。他の国では「ダンス」などの一言で表されています。
もともとは「踊」という言葉は縦に動き…跳躍を意味し、「舞」という言葉は廻ること…旋回を意味していました。神様に向かって人間がメッセージを発するのが、縦の動き…「踊り」であり、神が人間に向かってしろ示すのが「舞」であったと言われてます。
能は「人間以上のもの」を現わすことから(それは、昔はひっくるめて神であったのですが…)「面(おもて)」を付けます。村人などを現わすときは「直面(ひためん)」といって面を付けないことになっています。
踊りには「盆踊り」や「日本舞踊」が含まれます。「日本舞踊」とは明治時代に「舞」と「踊り」を一つにして付けた名称ですが、当時は「踊り」…所謂「歌舞伎」の中の踊の部分だけが独立して上演された「歌舞伎舞踊」…の方が、昔ながらの古典である「舞」よりも新鮮で、時流に乗って流行した為に、この時に呼ばれていた「日本舞踊」という言い方は自然にその歌舞伎舞踊だけをさすようになっていきました。
それに対して上方で発生し、上方中心に舞われていた「舞」の方は、「地歌舞」とか「上方舞」、「座敷舞」と呼ばれるように成りました。「踊り」と「舞」と分けたときに「舞」のほうには、能の「仕舞」や「地歌舞」など、そして宮中や神社で雅楽を演奏する中で舞われる「五節の舞」や「神楽舞」などが含まれます。面を付けないのに(人間なのに)舞う「舞」は「人が神の舞うのを真似て舞う。」あるいは「神に成り代わって舞う」ということとされています。昔は「舞手」に神がのり移るとも考えられていたようです。