打ち続けるpulsoとして
音楽は風の様に自由に広がって行く。時に時代を逆行し、或いは遙かに先行し言話、習情の障害を越えて聴く者の内に浸透する。但し飽くまでもその意識レベルに依って常に様々に変貌する危険性を孕む事実を無視することは出来ない。
自由を謳い乍らーつのカテゴリーに固執し排他的になるか、逆に何もかもいち早く取り込むことのみに腐心して鵜呑みにし、その実中身を全く感知せずー時的に皮膚感覚のみ楽しんでは吐き出して移って行く所調、消費専門家の持て囃される時代である。現状を見、自分の目的に向かって歩き統けることは至難の技であるといっても過言ではない。が、そうした消費者礼賛路線への同乗を拒否した高柳は自由に生きた。
彼のフォービートジャズから、フルボリュームで聴く者の全身を音の渦に巻き込み、嫌応なく現意識の外へ放リ出さずには置かないソロ・インプロヴィゼーションを連想することは不可能だったかも知れない。特にフオービートの枠から出ることのない聴き手にとって、それは単に騒音でしかなかった様である。
ましてそこにクラシック、ラテン、シャンソン等々のジャンルを云々する等、想い付きもしないに違いないが、それは総じて常に高柳の内に同等に存在した。彼がTANGOに触れ、そのリズムに惹かれて聞き込んで行ったのは30年程も前のことであった。当時の耳慣れたものになっていた曲から、原点的なものへ逆行し、録音状態もひどいSP、LP等を辿り、その中に自分の音楽の内に在るものとの共通点を見出した。
TANGOは周知の通り、潮の香と漁師の荒々しい声の響く空と、その疲れを癒す酒場の喧噪と雑然とした中に逞しく生きる人々の心に生まれ、同時に果てしない草原の広がりとその地平線に沈む夕日を眺める厳しい自然との生活、時代の圧力仁対する抵抗の、誇りを持つ音楽と聞く。
アドルフォ・ベロンのタッチに、ガルデルの押さえた激しさの中の叫び、そしてビアソラと様々な編成のグループの音に見出した“TANGO”何とか自分の楽器であるGuitarを主体にしたグループで、自分たちで演奏したいと発想してから実現する迄にかなりの年月が過ぎている。その時、時の体調の変化が影響する中でもアクシテントを伴い乍ら演奏活動を続行したが、何れの場に於いても激しい音の渦、単音のメロディ、全身で刻み込むリズムの何れもが高柳自身の音であり、それは決して澱むことはなかった。どんよりと澱み留まってしまう濁りを嫌い、一歩でも例え半歩でも前進する姿勢が強く、最後まで彼自身の音楽に向かわせたのは事実である。
ともあれ、その時問の中にTANGOを愛し、聴き込み、高柳の意に賛同したメンバーが集まって‘89年、このグルーブ“loco takayanagi y lospobres”が誕生した。
直ちに直面した練習場所の問題もメンバーの努力で解決したが、週1回午前中から始める練習の時問帯は夜遅い仕事を持つ者、遠方から参加する者にとってはきついものだったに違いない。勿論高柳本人にとっても。績リ返しリズムを刻み、一曲一曲と練習を重ねる作業が続けられたが、高柳の入院で中断されたりと思い通りの進歩はなかなか得られなかった。その中でもTAPEを聴き、繰り返しチエックする当然疲労を生む行為を、TANGOに向かうグループを持った喜びが支えていた。
表面単調とも思える練習が繰り返され、足踏みを繰り返す中にリズムの切れが生れ、メンバーの纏まりも感じられる時期に、高柳が常に要求したものは単なる小器用さではなく、生き生きとした緊張感である。馴れて手垢の付いた譜面と演奏が同化してはならないし、練習の積み重ねから生じがちな惰性を懸念した。曲に対する思索が深まり練習の成果がプラスされれぱ、その都度新鮮な音が生じる筈である。演春者にとってテクニックは目的を達する手段として必要不可欠なものであるが、テクニックそのものは音楽ではない。それ以前のもの、と同時にそれ以上のものが要求される。結果として、各々の感性に問うとの考えが変わることはなかった。
単に生活の糧を得る手段として音楽を選んだのではない。高柳自身本当の意味で生きる為に音楽と共に在った。そこはもう、言葉や文字の入り込む余地のない、カルマと称するものの範曜に入るのかも知れない。
刻々と時聞を失う生活に入ったスケジュールの中で、これはpit inn最後の出演となったステージの中から収録されたものである。初めての編成であったり、ステージ経験の少ないメンバーも在ったりと、ここでもアクシデントの重なりの上に終始した。メンバーにとっても高柳にとっても緊張と、喜びと、後悔の入り混じった大きな吐息と共に終わったであろうー夜であった。
決して完成された(完成等あり得ないが)“TANGO”としてではなく、TANGOを目指してその原点的なものからー歩を踏み出した新しいグループの記録として発表することになったものである。
今、ここに多少の不整脈は有ったにしても、絶えることなく音楽に向かって打ち統ける高柳の、形而上の、言い替えれば永遠の意識のpulsoとして、と同時に全身で取り組んだメンバーの、今後も打ち続けるであろうPULsoとして、残されたー校に加えたい。
長谷葉子 1995年11月記(el pulso ライナーノーツより)
収録曲は以下の17曲。
・LEGUISAMO SOLO
・MURMULLOS
・SILENCIO
・MILONGA DEL 900
・ATANICHE
・AY,AURORA
・INTIMAS
・MI BUENUS AIRES QUERIDO
・DOS AMIGOS
・MARGARITAS
・VOLVER
・SOL TROPICAL
・AMEMONOS
・AUSENCIA
・CAPRICHOSA
・MEDALLITA DE LA SUERTE
・TANGO ES AZUL
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